趣味とか色々

ぼくのかんがえるゆめにっき。

f:id:agopo:20200418202624j:plain

ゆめにっきは間違いなく自分の人生の中においてトップクラスに重要なコンテンツであると言える気がします。

僕がゆめにっきに出会ったのは小学生の時でした。あの頃は何か変わったゲームとか暗いゲームとかそういう感想しか抱かなかったのですが、一年前くらいにもう一度プレイしなおしたり小説を読みなおしたりした結果沼にはまってしまいました。小説版の方はと言いますと、勿論あれ自体解釈の一つであるわけですが、自分としては滅茶苦茶面白かったです。特に学問としての夢の位置づけや潜在意識について言及し、ゆめにっきと結びつけたというのが個人的に印象によく残っています。ぽに子の立ち位置が意外でしたが。

そして本家の方はと言いますと、音楽、世界観、エンディング...どれも素晴らしいと感じています。

ゆめにっき(派生もだいたい)のBGMは単調なものであったり、なにかの物音みたいなものの繰り返しであったりすることが多いですが、それは夢という潜在的な場所に鳴り響く生物的、瞑想的な要素を連想させ、言うなれば原始的であると感じさせられました。ゆめにっきの世界観が民族的であるという点も、こういったことを連想させる、と個人的に思っています。言ってしまえば生々しいといった感じでしょうか。

表面的な世界観(ヴィジュアル的な)面においては、前衛的(民族っぽい、シュール、残酷とか多い気する)かつ温かみのあるドットによりどこか可愛さを感じさせるものになっていると思います(しかし、意外なことにゆめにっきのドット絵、窓ちゃんやポニ子などに対して可愛いといった感情は持っていない。)。なんて素晴らしい作品に出会えたんだろう...。しかし知名度的にはかなり高い作品なので、どちらかといえばゆめにっきを愛せる感性を持って生まれた(育った)ことに感謝という方が正しいように思えます。

インスパイアされたLSDも近い内にプレイしたいと思っています。(猫夢もやろう。)

自分が一番好きなマップ(甲乙つけ難いですけど)はぽに子がいる家があるピンクの池みたいなところです。あのマップ子宮みたいな形していた気がしますが、あの池はつまり、自分自身と同じくらい近い存在である(近いという表現は微妙な気がする)、母親の腹の中(羊水の中)みたいな存在の場所と思えてならないのです。死というのは往々にして恐ろしいものと思われがちですが、一方で解放とか楽になるとかそういう表現がされます。つまり無の状態です。そしてぽに子池(羊水)は生まれる前(死ではないが意識は生まれていない)の極めて無である状態を表した場所であると。つまりあの池はものすごく優しい場所であると思っているのです。(♪甘き死よ、来たれ)そう思っているだけです。

あと、EDですが、    個人的にはあの終わり方はハッピーエンドだと思っています。EDの時に、空がまるで朝焼けのように輝いています。多分、飛び降りた世界もまた夢の中なのではないでしょうか。(現実世界だと思っている場所も現実世界感がないから)少なくとも自分はそう思っています。夢の中のエフェクトをすべて集め、(過去を清算)夢の中で、死ぬ。そして現実と向き合う。そういうことだと考えています。

なんて語り続けたらきりがないので、今回はここまでにしておきます。

これからは本家だけは無く派生の方もプレイしていきたいと思います。

ありがとうゆめにっき、ききやま氏。そして疲れた。