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楽しむにはノリが必要なとき/人間と動物の違い、思考とは

動物に関するバラエティー番組を見ていてよく感じることなのだけど、例えば犬や猫が賢いと思われるような行動をするとする。その時に人間は「こんな言葉がわかるの!」とか「頭良い!」とか言う。

 

もちろんその通りである時はよくあると思うけど、そうでない時もある。動物の知能の高さゆえの行動ではなく、環境に適応したとか、こういう行動をしたら餌がもらえるみたいな、割とそういう原因で行動していることが多いと思う。

 

また、動物に声優を付けることによってストーリーやニュアンスを付与するといったことも散見されるけど、そういうことは深く気にせずにノリに乗らないといけない。

 

バラエティー番組としての特性上、そういう揚げ足をとるような事を考えることは適正に楽しむには間違っているように思えてしまう。もちろん楽しみ方など人それぞれなのだが、芸能人が動物を見て、その行動などを見て、リアクションをする。そして視聴者もそれに合わせてノリを楽しむ。何だか、凄く個人的な取るに足らないことを書いてしまったような気がする。

 

一方で、他に例を挙げると、家族で食卓を囲むときにはスマホをしてはいけないみたいな慣習がある家庭も割合的に多いように感じる。それはどうしてだろうと考えると、昔からそうしていたからとかいう人もいると思う。(行儀悪いとか)それは突き詰めれば宗教的なものに行き着く気がするけど、色々考えると、結局自分もその慣習に従っているほうが良いこともある。(家族の前において、など)つまり考えて行動するのではなく、その場のノリで行動するほうが結果としては良いみたいな。(でも結局スマホダメなのは料理を作った人などが不快に感じるからっていうのが大きい気がしている。これはただ例として使いたかっただけです。)

 

人間と動物の違い

人間とそれ以外の動物の違いについて、勿論知能という面で大きく分けられる気がするけど、ダーウィン的な進化論的なアレでは人間は動物に連続したものであり、一応連続的ではあると思う。

でも量的なものは当たり前だとして、質的なものも大きく違うような気がする。複雑な構造になりすぎたからそう思えるだけなのかもしれないし、自分も人間だからそう思えるのかもしれない。しかし、人間の思考回路も細分化していけば、極めて物理的な信号になるわけで、、、。だけど人間が人間に対してそういう考えを持ってしまったら、世界の見え方も無機的なものになってしまうかもしれない。

 

動物とは、人間とは、心とは。